1984年(昭和59年)9月の記録
−10月7日ダイヤ改正直前とデ1070形の運用バリエーション−
前月8月に搬入されたデ1350形の最新車両、1357-1358+1359-1360が運用を開始しました。
当初より連解5連運用を考慮して1358と1359の間は連解仕様となり、有馬寄の1357方には
両運車のデ1070形1076が連結されました。奇しくもデ1070形の中では唯一の裾帯車で、
編成美を損ねずに運用されました。
この後、1076は1000系列の冷改モデル車として施工されたのは周知の通りです。
写真の姿は、施工前のごく短期間見られた珍しい光景でした。
1360Fと顔を合わせたデ1000形1004F。この頃は裾帯施工車が少しずつ増えて来た頃ですが、
翌年には現在の新塗装が出現するとは、全く予想が出来ませんでした。
有馬温泉へ向かうデ1070形+1100系3連の急行。連解4連運用の編成です。
この後のダイヤ改正では連解運用の中心は4連から5連に移行、デ1070形+1100系の連解4連運用は
激減する事となります。
−昭和59年10月7日のダイヤ改正−
翌月の10月7日には、約2年ぶりとなるダイヤ改正が実施されました。
画期的な変更点は、従来の谷上止列車を岡場まで延長、鈴蘭台〜谷上間で15分ヘッドの
等間隔ダイヤとなった点、通勤急行の廃止(急行の停車駅を増やし事実上の統一)等です。
又、この頃は粟生線沿線の乗降客がまだ増加中で、広野ゴルフ場前の交換設備設置及び
見津車庫の留置線一部使用開始等、輸送力増強の為の設備投資が積極的にされています。
連解運用の本数は4連4運用・5連1運用から4連1運用・5連5運用に変更、さらに連休時に
運転されていたデ1070形の連解車引揚・回送は増結車2連に変更された事により消滅。
ローカル色豊かな風情のあるデ1070形の単行回送風景は見納めとなりました。
05年3月限りで営業休止となった菊水山の下りホームに、5連対応のITVが設置されたのも
本改正からでした。
今回は改正前夜の沿線風景と併せ、単行車のメリットを最大限に発揮していた頃のデ1070形運用
バリエーションをご紹介したいと思います。
連解4連有り、非冷房時代の1076変則5連有り、最後の連解車単行引揚・回送有り・・・と、今振り返っても
なかなか楽しい一日でした。
西鈴蘭台〜藍那間を行く800系3連。写真の場所は付近の樹木が成長し、当時のような写真は
撮れなくなりました。
デ1070形の連解車引揚風景。
鈴蘭台へ向かって急勾配を登っていく
この姿を見られるのも、あとわずかとなりました。
複線化間もない路盤と、単行の電車が何とも
ユーモラスな風景です。
西鈴蘭台へ戻ると、2本目の連解車引揚車(1072)が到着していました。
写真の1072は現在、1062と固定2連を組成。パンタも撤去され、オリジナルの姿とは変わってしまいました。
川池のほとりを行くデ1070形の単行回送。日検も終わり、のんびりと志染へ帰って行きました。
藍那小学校付近を行く1054他。
この辺りの風景は、初めて藍那の集落を訪れた
小学校時代から現在も殆ど変わっておらず、まるで
時が止まったかの様な雰囲気を残しています。
同じ場所の反対方向(神戸寄)からやって来た粟生行の1100系3連をショット。裾帯入りの塗装変更車です。
現在は同駅付近も粟生線の複線化工事で若干風景が変わりましたが、肝心の複線化工事の方はいつに
なれば完成する事やら・・・。
晩夏〜初秋の優しい陽射しの中、2本目のの連解車回送が軽快な足取りで藍那の街を駆けて行きます。
この日一番のショットでした。
残念ながら現在、味のある背景の火の見櫓と雑貨屋の建物はどちらも姿を消してしまいました。
途中で立ち寄った山の街の側線には、珍しく800系3連(801F)が留置中。一週間以上は居たでしょうか。
この頃、丁度小型の無蓋貨車が廃車予定の為鈴蘭台車庫に集約されており、留置スペース確保の為の
苦肉の策だったかもしれません。
粟生線の見津車庫が留置線3本の使用を開始したのは、この約20日後、10月7日のダイヤ改正からでした。
朝方は5連で走っていた1358-1357+1076は、日中は鈴蘭台で1360-1359を解結して3連で走行していました。
夕方からは再び2両を増結し、5連となって粟生線系統の運用に従事します。
1076が冷改工事を受けたのは、それから間もなくの事でした。
現在では1153Fの有馬寄に連結、固定4連を組成していますが、EL+PCの姿を彷彿させる神戸寄先頭の
前パン姿が見たいなぁ・・・と思うのは私だけでしょうか。
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