− Web写真集 6 −  「6000系がやってきた!」



       5.搬入後の6000系動向〜在来車に動きあり!



       

       5001Fの建築限界測定編成。未明の三田線での作業を終え、鈴蘭台へ戻る途中の姿です。
       障害物検測の為、車体側面に赤色の発砲スチロールが取り付けられているのが分かりますね


       無事搬入作業の完了した6000系。従来車から変更された点も多く、施設面でも対応が施されました。       
       6000系の車体幅は従来より100mm拡幅。車内空間も96mm広くなり、全体に居住空間が広く取られています。
       この為、既存施設が幅広の車体に支障がない事を確認する必要があり、2月下旬の粟生線鈴蘭台〜志染間を
       皮切りに、全線において「簡易オイラン車」即ち5000系4連による建築限界確認編成が走行しました。
       私の知る限りでは、1984年の800系除雪装置寸法測定以来の事だと思います。

       作業は主に終電後の実施となりましたが、一部区間では昼間の試運転として実施されており、前述の粟生線や
       有馬線鈴蘭台〜新開地間では、障害物測定用の赤い発砲スチロールを車体に貼り付けた5000系を目にした
       方も多いのではないでしょうか。

       一方、6000系については3月の搬入後もスカート未装着の状態で、鈴蘭台車庫内を時折移動する姿が
       目撃されていました。
       全線の確認作業が完了した4月13日終電後には、誘導障害試験の為、鈴蘭台〜谷上間を走行。
       これが6000系初の本線走行となっています。
       4月下旬には少し丸くなったスカートも装着されてりりしい姿となり、5月上旬まで夜間を中心とした走行試験が
       実施されています。

       さて、そんな中で在来車にも新たな動きが見られました。

       

       鈴蘭台車庫の片隅で長らく休車状態であった1123と1212と、1115F4連化に伴い活躍の場を失った1060。
       以前より動向が注目されていた在来車3両が、4月17日付で除籍。4月21日終電後、ひっそりと解体の為
       見津車庫へ回送されました。


   

  1212の周囲には解体作業の為でしょうか、木組みの足場が立てられていました。
  既に車内の部品は殆ど撤去されている様子で、取り払われた窓枠が哀れさを誘います。

  現役の活躍時期を良く見ているだけに、「電車」から「ただの鉄の箱」になってしまった姿を見るのは、心痛むものがあります。


       

       1212はご存知の通り、旧800系(デ゙860形)864からの再改造車。
       台車はツリカケモータを装荷していた川崎-641を電装解除、車内にも旧800系からの改造跡を随所に残した
       貴重な車両でした。
       種車の864は旧型車(デ1型9)からの更新車である為、1212の車籍上の製造年月日は1929年1月である事は
       あまり知られていません。

       数日後には解体作業も開始され、静かに役目を終えた3両はあっという間に姿を消してしまいました。
       急成長時代の神鉄を支えてきた立役者たち。長い間、本当にご苦労様でした・・・。



                                   

       (2008.05.28 記)


                                                                           

   

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