1984年(昭和59年)3月の記録
−相鉄EDと箱根登山鉄道訪問−
鈴蘭台を発車するデ300形311-312とデ1050形1058の3両編成。311Fは連解2連増結対応となった後も、たびたび
他形式と3〜5連を組成、バラエティな編成美を披露していました。
この日は日中堂々、ED2001がト501・503を牽引。検査終了後の貨車2両を山の街へ回送する為です。
さすがに二軸貨車2両は、デキにとっても荷が軽そうです。上り側線にはデヤ750形の姿も・・・。
山の街まで回送前の一時、鈴蘭台駅3番線で一服するデキ+ト501・503.4番線の800系が粟生線へ向けて発車
していきます。
この約2週間後、卒業後の休暇を利用して関東方面へ電車行脚に行って来ました。
大きな目的は、当時まだ米軍向け燃料輸送で活躍していた相模鉄道のED10と、粘着運転では日本最急の
80パーミルに挑む箱根登山鉄道でした。
チピロコと言ってもいいぐらい愛らしいスタイルの相模鉄道ED10。写真では少しわかりづらいかも知れませんが、
台車は電車から流用のDT-13が使用されています。2両重連で厚木基地への燃料輸送に従事しており、当時は
まだ定期運用が存在していました。
燃料輸送の方は98年9月をもって休止となりましたが、デキ4両は現在も健在との事です。
凸形の独特の形状をした緩急車、トフ400。スポーク形車輪の二軸貨車です。
町田駅で小田急線を待っていると、やってきたのはSEロマンスカー3000系!引退間際の姿で、この翌年には
大井川鉄道へ移籍したSE車に乗車しましたが、現在では残念ながら既に廃車解体されています。
初めて訪れた箱根登山は残雪がまだ残っていました。112と101の2連が終点の強羅を目指してやって来ました。
この撮影地の近所には、宿の同宿者に教えて頂いたおいしい餃子の店が有りました。
強羅駅構内に保存されている有蓋電動貨車のユ1形。「魚菜電車」の愛称を持ち、神鉄のデキと同様の電磁吸着
ブレーキを備えていた車両です。
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