−1994年5月〜7月− 疎開留置が始まった〜見津車庫での撮影会
5000系の習熟運転も終わり、すっかり暖かくなった5月上旬。
黙々と運用をこなしていたサンマルに、疎開留置の時がやって来てしまいました。
鈴蘭台車庫の車両留置能力は52両。深夜の分散留置を含めても車庫への収容能力は限界。
5000系2編成の搬入が完了した現在、見津への疎開留置は充分予想された事でした。
営業運転開始前の5000系とともに見津車庫で休んでいるのは、トップ編成の301F。
奇しくも新旧の電車が肩を並べ、初夏を思わせる陽気の下でのんびりと昼寝の最中でした。
孫のような次世代の車両へ、サンマルは何を語りかけているのでしょうね・・・。
注油作業をしていた係員の方と、晴天の下でしばし雑談。
「何処から来はったの?」
「淡路からやってきました」
「ほぉ〜、えらい遠いとっから来はったなぁ〜!」
「小さい時から思い出があって、一番好きな電車なんです」
「そうかぁ!わしも若い時、コレ(300形)ができた時はホンマ、嬉しかったわ〜。
あんたみたいな人がわざわざ来てくれはって、コイツも喜んどるわ」
スマートなサンマルの横顔が、心なしか一瞬誇らしげな気がしました。
「気ぃつけて撮りよ〜!」と言って、係員の方は再び車庫のポイント注油作業に戻って行きました。
見慣れた愛らしいマスクにも、長年の疲れが現れていました。
さて、時は流れて7月30日。
この日は鉄道友の会阪神支部による、デ300形の撮影会開催日。
当日は絶好の晴天にも恵まれ、大勢の会員の方々で賑わいました。
既に6月で営業運転が終了し、引退が秒読みとなっていたサンマル二編成。
もう本線で活躍する事はないでしょうが、この日は現役として活躍していた時と同様にパンタを高々と上げ、
往時の勇姿を復活してくれました。
思い出すのは、前年に実施された800系のさよなら運転。
「・・・できる事ならば、もう一度同じように本線上で花道を飾ってあげたいなぁ・・・」
きっと、皆さんそう思われたのではないでしょうか・・・。