1980年(昭和55年)8月の記録
−特別番外編- 旧国鉄 加古川・鍛冶屋線の旅−
当時は三木・北条線列車の併結・解放も
厄神や粟生で頻繁に行われていました。
写真は加古川駅ホームにて。
加古川駅で駅弁を仕入れていざ出発。写真は引退直前のキハユニ15で、加古川線には3両が配属されていました。
うち、キハユニ15 3は前面窓が一回り小さい形で異彩を放っていましたが、写真のキハユニ15 6等よりも一足早く
廃車されました。
湘南形二枚窓が非常に好ましいスタイルでした。
昔はどこでも見れた、手荷物の
積込風景。キハユニの荷物室が
本領を発揮します。
(上)加古川に沿って列車は一路北上。この風景は現在もあまり変わりません。
(下)西脇駅では、大勢の下車客でホームがごった返していました。赤字線でも、当時は活気がこんなに有ったのですね・・・
鍛冶屋駅に到着。折り返し待ちのキハユニ他3連です。
山間の里の静かな駅は、すこし先で線路が途切れていました。
鍛冶屋駅の駅舎と広場の風景。看板の「みんなで守ろう」の言葉も空しく、やがて鍛冶屋線は過去の路線となりました。
帰りはキハ20とキハ35の2連です。静かな構内にエンジンのアイドリング音が響きます。
西脇駅の駅舎。
加古川線系統の中でも活気があり、
線内では唯一、みどりの窓口が設置
されていました。
西脇駅構内。腕木式信号機も現在では懐かしいですね・・・
西脇駅に到着した列車には、もう一両の
キハユニ15が連結されていました。
この後一ヶ月も経たない内に、全車とも
廃車になってしまうとは思いませんでした。
滝野駅ホームにて。
粟生駅付近にて。
三木・北条は三セク化、高砂線も既に無く、
加古川線の電化はここから約24年後の事と
なりました。
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