1992年(平成4年)12月の記録
−三木〜粟生〜新開地〜鈴蘭台 800系の旅−
三木駅で1500形1503Fと並ぶ807F(807-808-852)。
1500形は公都線2000系の予備車としての役割の他、800系2編成の代替新造車でもあり、
803Fと811Fの2編成が廃車となっています。
三木駅で出発待ちの807F。この時には既に旧塗装で残る唯一の編成でした。
−引退直前の800系の運用について−
神戸電鉄最後のHB制御・ツリカケ駆動車800系が営業線上から姿を消したのは平成5年3月の事でした。
当時の800系専用運用であるK3連運用は、この時点で3運用のみ。内一運用は日中の営業運転が無く、残りの
2運用も当時3連しか入線できない粟生線末端部(志染〜粟生)のみの運用で、一方は午前中の運用のみ。
残りの一本も、休日ダイヤでは午前中で運用が終わってしまうという有様。
さらに追い討ちを掛ける様に、平成4年10月には805Fが2007Fの代替で廃車となり、3運用の内一本には
高性能車が入る事となった為、引退直前の撮影は困難を極めました。
しかし、それも又楽しみの内・・・。
当時は西明石に住んでいたので、国道175号線を北上し、三木駅詣が週末の日課となりました。
昼間の運用に800系が入り、三木駅のホームで発車を待っている姿に出会った時の嬉しさは格別!。
残り少なくなったツリカケの唸りを、存分に楽しんだものでした。
今回は、とある日の三木〜粟生〜新開地〜鈴蘭台の風景をお届けしましょう。
当時をご存知の方もそうでない方も、Web上でのご乗車を是非お楽しみ下さい。
当日の編成・・・ ←粟生 807-808-852 神戸→ (旧塗装・オール片開扉)
乗車列車 ・・・ 三木→(919K)→粟生→(422K)→新開地→(535K)→鈴蘭台 (入庫)
(当時の800系運用列車には、識別の為列車番号末尾に「K」の記号が付されていました)
外はあいにくの雨模様ですが、車内は程よく暖房が効いています。
ツリカケモータの唸りを上げ、車体を揺さぶりなから列車は粟生へ向かいます。
運転はHB間接非自動制御の為、運転士さんが一段ずつ徐々にノッチを投入してゆく、いわゆる「マニュアル車」。
力行13段、電制8段で停車時もマスコンの電制ノッチを調整して停車します。
ブレーキは直通ブレーキに非常弁装置が備わったSMEで、ブレーキ弁右側の装置は緊急制動時に非常弁を
一斉作動させる為のマイクロスイッチです。停車の際は高性能車のHSCと異なりセルフラップ機能が無い為、
ユルメ〜重なり〜ブレーキ位置と巧みにハンドルをさばく様子は見物でした。
樫山駅で上り列車と交換。この風景は現在も変わっていませんね。
坂道を登ればもうすぐ小野駅。粟生まではもう少しです。
粟生駅到着。スルッとKANSAI加入前で、ホームはまだJRと共用の頃。
後ろに見えるシンポル的存在の農業倉庫もまだ健在です。
もちろん電化前で、構内が広々としていますね。
粟生駅で小休止の後、ロングラン運用の422K列車で一路新開地を目指します。鈴蘭台への入出庫を兼ねて
いる為ですが、日中の神戸市内にて800系の姿を見る事が出来る貴重な列車でした。
(写真は93年1月、粟生線藍那〜西鈴蘭台にて撮影)
市内中心地へ向かう乗客を一杯乗せて新開地到着。何となくホッと一息ついた様子。
この後は鈴蘭台行各停として折り返し。乗客は逆にわずかとなり、ゆったりとした空気が流れます。
新開地駅ホームの案内表示は、3両の電車がスクロールする愛らしい表示ですね。
鈴蘭台到着。この後、しばし4番線南側の側線に入り、しばしの休息となります。
側線に留置された807Fの傍らを、活躍を始めたばかりの2007Fが新開地へ向かいます。
あと3ヶ月もすれば、新たにもう一編成の後輩にバトンを渡し、去ってゆく800系。
どんな気持ちで活躍を見守っているのでしょうか・・・。
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