1990年(平成2年)2月の記録
−有馬・三田線沿線探訪 神鉄激動の時期−
谷上駅を出発する特急三田行き。当時はまだ三田までの直通は3連限定だった為、デ1100形・サ1200形の
1100系3連が良く活躍していました。
約2年弱前に新装なった谷上駅に進入する上り新開地行きのデ300形304F。
(304-315-316-303) 既に相棒の304F(302-313-314-301、写真下)は新塗装化され、車両の新塗装化が
急速に進んでいた頃でした。
丸っこい車体のサンマルには、意外と新塗装が良く似合ったものです。
新開地からの急勾配を駆け上がり、足取りも軽く301Fが眼前を通過して行きました。
現在では1124を中間に組み込み、4連化された1122F3連(1122-1211-1121)
連解使用の頃で、前パン姿に前面下部の中間連結器ケースが迫力を感じさせます。
西鈴蘭台行きで折り返してきた1121F。上記の301Fと同じ、鈴蘭台車両工場裏手からの撮影です。
旧塗装時代の3000系も、今こうして見ると新鮮な印象ですね。写真は3005F(3006-3105-3106-3005)
三田線は公都線開業前夜でまだ道場南口以遠は3連限定運用の頃。「道場南口」行きの方向幕もなんだか
懐かしいですね。
写真左は志染行き、1054-1053と1100系3連の5連運用です。当時1054-1053は連解仕様改造前で、
相棒の1100系とは2+3の5連を組成していました。1100系もまだ非冷房ですね。
写真右は鈴蘭台仕立となる1360F(1360-1359+1358-1357-1076)、連解5連運用の編成です。
-平成2年当時の5連運用について-
今回の写真を撮影した当時のダイヤは、前年の1989年10月29日に改正されたものでした。
昭和63年4月2日の北神急行開業時に実施された改正を骨子とし、特急列車の増発や有馬口・谷上での
接続改善の他、全線での列車の増発・最終電車の繰下げ等が実施されました。
この結果、列車本数の増加から従来の列車番号表示では足りなくなる事から、列車番号構成も変更されて
います。(現行ダイヤの番号構成はさらに変更されています)
当時の5連運用は、粟生線の輸送力増強の為、営業線上で車両の増・解結を伴わない「5連運用」と、朝夕の
志染駅で連解仕様の編成により増・解結を実施する「連解5連運用」がありました。
いずれも各5運用(内2運用は単独運用)、計10運用が設定され、粟生線の一番華々しい頃だったかも
しれません。
連解5連・5連運用の一部は、日中に鈴蘭台車庫で増結2連を解結して3連で走るものもあり、運用調査上も
非常にユニークなものでした。
これ以外にも僅かながら、デ1070形+1100系3連の連解4連も1運用のみ設定があり、私達を大いに楽しませて
くれたものです。
これぞ正統派の連解4連。デ1070形1075を先頭にした上り新開地行き準急。
デ1070形には、やはり神戸寄先頭の「前パン」姿が良く似合います。後方の1100系3連は冷改工事
施工済となっている点も注目です。
通称「センマル」、デ1000形1008を先頭にした4連。この頃のデ1000形は既に有馬寄のパンタを降ろして運用、
デ1000形同士やデ1050形と4連を組成する姿が多く見られました。
岡場〜五社間をゆく1100系3連の新開地行特急。現在この辺りはスーパーの駐車場となっています。
特急と言えども当時の最高速度はまだ70km/h、公都線で初の80km/hが開始されるのはまだまだ先・・・。
夕日を浴びてウルトラマンが行く。この辺りの風景は、15年以上経った現在でも当時と変わらぬ情景を
見せてくれます。
−前ページへ戻る− −TOPへ−