1985年(昭和60年)3月の記録
                     
                −国鉄北条・三木線廃止〜第三セクターへ移行−





       こんな時代もありました・・・。


      

      湊川駅コンコースに貼りだされた国鉄北条線の連絡定期使用停止と北条鉄道との連絡運輸案内ポスター。
      神鉄での連絡定期発売は4月20日からとの案内となっています。


      

      連絡普通旅客運賃表には加古川・北条線の他、バス転換された鍛冶屋線の懐かしい案内も。
      当時、車掌さんが車内で発行していた補充券にも粟生経由での国鉄線連絡表示がありました。


      

      

      鈴蘭台車庫には撮影日3日前の28日に冷改工事が竣工したばかりのデ1070形1076が留置されていました。
      当時の1000系列車両は新造のデ1350形以外は全て非冷房車で、1076は初の冷改試行車となりました。
      前年竣工のデ゙1350形1357-1358+1359-1360と5連を組成し、5連運用では初のオール冷房編成となって
      粟生線のサービスアップに貢献する事となりました。
      2007年3月現在、連結相手は1153-1252-1154に変わり、固定4連を組成しているのは周知の通りです。


      

      志染駅1番線に留置中の連解5連増結用のデ1300形2編成。手前は裾帯入りとなった1305-1306です。
      デ1300形は当時、1301〜1306までの3編成が連解対応となっていました。


      

      国鉄線として営業の最終日、惜別ヘッドマークを付けた北条線のディーゼルカーが粟生駅に進入します。
      架線の無い広々とした構内、腕木式信号機の姿も今では思い出の風景ですね。


      

      

      私達の子供の頃、図鑑や百貨辞典には必ず載っていた転轍機。
      ローカル線の代名詞だったこれらの姿も、今ではすっかり見られなくなってしまいました。
      建屋脇の「運転異動」報は、最終列車後の回送列車手配でしょうか。


     

      

      ホームの各所では、翌日からの北条鉄道開業に備えて、看板の架け替えが行われていました。
      時代を感じさせ、長年の風雪に耐えて来た味のある看板達は、役目を終えて次々に外されて行きました。


      

      早春の明るい日差しが眩しい粟生駅ホーム。
      後方の茅葺屋根の民家もすでに無く、現在では鉄筋コンクリート建の老人ホームが建っています。
      当日は国鉄線営業廃止日にもかかわらず、現在の路線廃止時に比べると至ってのんびりしていたような
      記憶があります。


      

      厄神駅1番線の案内も「いい味」出してました。
      三木方面は殆どの列車が1番線から発車しており、多くの列車が加古川から直通していました。

      乗客の立場になってみれば、鉄道の「乗り換え」ほど煩わしくて面倒な事はありません。
      電車の好きな私達にしても、毎日の通勤では出来るだけ避けたいものですし、乗り物の苦手な
      女性やお年寄りなら尚の事です。
      多くの第三セクター鉄道は、国鉄やJRからの移行を機に、線路も分断されて直通列車の殆どは
      姿を消してしまいました。
      沿線の道路整備やモータリゼーションの進行、少子高齢化等鉄道を取り巻く環境は確かに厳しい
      ものがありますが、こうした鉄道ならではの利点を捨ててしまったことの影響は、決して小さいものでは
      ないような気がします。

      又、今ではお役所や民間でも「バリヤフリー」を声高に唱え、どこの鉄道も駅も綺麗になりましたが・・・。

       出口はたくさんあっても、一箇所しかないエレベーター・・・
       目の前にホームがあるのに、一度上って降りないと電車に乗れない駅・・・
       やっと階段を上って(降りて)も、遥かに遠い改札口・・・
       改札を抜けても、電車のホームにはさらに長い階段やエスカレーター・・・
       車掌も駅員も殆どいない電車。ロングシートもう少し詰めたら皆が座れるのに・・・

      本当のバリアフリーって、こんなことではないはずですよね。
      こんな電車に、果たして自分から誰が乗りたいと心から思うでしょうか。
      決して役所や企業だけの問題ではないと思いますが、当事者の方々は、今一度「利用者」の原点に
      立ち戻って、じっくりと考えて欲しいと思います。


      

      三木駅で発車を待つ、キハ23を先頭にした三木線最終日の列車。
      写真のホーム左側は現在線路が敷いてあり、三木鉄道となっても使用されています。


      

      敷地の隅では、明日からの出番に備え、綺麗に装飾されたレールバスが止まっていました。


      

      明日からは真紅のキハが姿を見せる事もありません。
      少しずつ西へ傾く夕日の中に、細長いレールが光っていました。



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