1984年(昭和59年)5月の記録
                     
              −粟生線探訪−デ1070形連解車単行回送と800系−


     

      84年5月のGWに設定されたデ1070形連解車単行引揚・回送。
      この日は1072と1073の2両が鈴蘭台〜志染間を往復していました
      後方には見えるのは工事中の見津車庫。上り線→現在の入出庫線、下り線→現在の上り線を
      仮使用している様子が分かります。


      

      木幡〜栄間を行く852-808-807の800系3連。
      当時K3連運用は6運用設定されており、三田・粟生線末端部の区間運用のみならず、
      新開地までの区間でも良く見かけました。
      この日も800系5編成の内、3編成が新開地〜三木・粟生間を元気に走っていました。


      

      

      2本目の連解車引揚は1073。春の陽射しが降り注ぐ中をのんびりと走っていきます。



      

      1108Fの裾帯入り3連がやって来ました。
      当時はまだ裾帯入り編成の方が少なく、旧塗装の方が幅を効かせていました。
      勿論まだ非冷房の頃です。


      

      1108Fと交換する801F。
      当時の粟生線はまだ複線区間が西鈴蘭台〜藍那と見津信号所〜押部谷間の頃で、この先
      木津〜藍那間は再び単線区間となります。


  

 

  川池を望む高台から、志染へ戻る連解車回送を連写!
  83年10月の当欄でも述べている様に、当時は川池信号所の粟生寄に側線が有り、日中の閑散時には
  鈴蘭台から回送された編成がパンタを降ろして昼寝をしていたものです。

  現在では写真右手の森は造成され、その姿をすっかり変えてしまいましたが、春先にはたっぷりと清水を湛え、
  一帯の田畑を潤す川池の姿は今でも健在です。


      

      木津駅に到着した800系3連。まだホームは片面一面の単線です。
      現在、写真手前のあたりは産業団地の一部として整備され、粟生線自身も複線の橋上駅へと
      姿を変えました。


      

      800系3連が木津駅を発車。神戸寄の車両が両運車で、パンタが神戸寄1・2両目に設置されて
      いるのが特徴で、遠目にもすぐ分かります。


      

      川池信号所〜藍那間にて。デ1070形の単行2本目が、日検を終えて志染へと帰っていきます。
      回送とは言え、単行でチョコンと農村部を行くその姿は粟生線の豊かな自然風景にピッタリで、
      なかなか様になって愛らしいものでした。




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