1983年(昭和58年)12月の記録

                        −粟生線探訪の小旅行−


      
      
      押部谷で折り返し発車を待つ新開地行3連(1008-1007+1057)
      デ1000形にはやはり二つパンタの堂々とした姿がが良く似合います。




                  

      年末の休日ダイヤ移行に伴い、連解車回送が例によって実施されました。
      今回は1075と裾帯入りの1076。来年1/3の志染回送まで鈴蘭台で年越しです。




                 

      橋上化となる前の旧小野駅舎。現在よりも駅前には活気がありました。
      時代が移ったとはいえ、沿線を歩く際に気になるのは、昨今の神鉄の駅前や商店街・町並に
      活気や人の息吹が感じられない事です。

      駅は綺麗になり、自動改札やバリアフリーも進められていますが、通学の行き帰りに「おはよう
      ございます」「さようなら」と挨拶をしていた駅員さんの姿は無くなり、橋上化で目の前に見えている
      ホームは遠くなり、お年寄りの方にも電車は決して身近なものではなくなりました。

      安全の為の設備投資や、事業を維持して行く為の省力化は確かに欠かす事の出来ないものです。
      しかし、沿線の町並みに活気が少なくなってしまったのは、ただ単に「時代の流れ」だけではない
      ような気がするのは私だけでしょうか・・・。


      

      

      冬枯れの風景の中を800系が行く。葉多駅付近のこのあたりの風景は、駅舎が新設された以外は
      20年後の現在もほとんど変わっていません。
      
      
      
      
      この年最後のショット。加古川の河川敷に、電車の鉄橋を渡る音が遠くから響いてきます・・・。



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