1982年(昭和57年)3月の記録
−北神急行開業前の箕谷〜谷上間−
デ300形302Fがまだ現役の頃。新開地行の通勤急行として颯爽と目前を駆けていきました。
遥か後方の線路は左へカーブ、現在の有馬街道辺りに旧谷上駅は存在しました。
2006年11月に撮影した、上記とほぼ同じ場所からの風景です。
コンクリート製の電柱と線路をオーバークロスする高架橋が、時代の流れを実感させますね。
後方の線路は現在、北神急行谷上駅へ直進しているのが分かります。
旧谷上駅の南側で撮影中。新開地へ向かう上り列車は1071を先頭にした連解4連。
当時は増結車のデ1050・デ1070形が大活躍。日中は車庫で増結車を開放し、3連で走行する運用も
見られました。
2丁パンタを高々と振りかざして活躍中のデ1000形。この頃は既に、回生制動は使用していませんでした。
デ1050形奇数車を有馬寄に連結し、急行3連運用で三田へ急ぎます。
まだ北神急行開業前の谷上駅は、神戸市近郊の山里といった感が強く、急行も停車しないローカル駅で
同駅折り返しの普通列車が一時間に一往復程度設定されていました。
−1982年頃の急行運転と3ノッチスイッチ−
当時の急行は神戸市街と有馬・三田間の速達列車としての要素が強く、約30分ヘッドの運行となって
いた点が特筆されます。
停車駅は湊川・鈴蘭台・大池・唐櫃台・有馬口以遠の各駅で、現在の急行停車駅が沿線の乗降客数を
反映した妥当なものとは言え、今よりもはるかに優等列車らしい感じがします。
神鉄の最高速度は当時まだ60km/hで、準急以下の列車種別については2ノッチ(高性能車→弱め界磁2段)
までしか使用が認められていませんでした。一方、急行列車については3ノッチスイッチを投入することにより、
弱め界磁3段を使用、スピードアップにより準急列車以下との差別化を図っていました。
同じ車体で3連ながら旧型車の足回りを再用した800系が急行運用に就く事ができなかったのは、高性能車
全界磁以下の性能までしか出せないといった理由によるものです。
急行列車停車駅は1985年10月のダイヤ改正で通勤急行を統合した際に北鈴蘭台・山の街を追加、現在の
停車駅の原型ができる事となります。
その後は1988年4月のダイヤ改正により最高速度を70km/hにアップ、晴れて高性能車全車の3ノッチ使用が
開始される事となりました。
1998年3月の改正では特快速・快速列車のスピードアップが谷上〜岡場間で実施され、5000系限定運用の
定速スイッチ・4ノッチ使用による80km/h運転が行われることとなりましたが、急行列車については対象外で、
在来車使用による70km/h運転のままでした。
高性能車全車による4ノッチ使用の実現は約3年後の2001年6月ダイヤ改正で、現在では4ノッチ使用区間も
三田〜谷上間と公都線全線に拡大されています。(公都線の80km/h運転は1995年11月改正より実施)
当時の花形車両、3000系の有馬温泉行がやってきました。私たちの世代で3000と言えば、やはりこの
旧塗装の姿ですね。この頃はアルミ地の部分にもクリヤラッカー仕上げを施していました。
前述の谷上行普通列車。同駅止りの列車は駅南側のポイントを渡って4番線に進入し、新開地行と
して折り返します。
有馬方の行先表示はまだ「谷上」ですが、神戸方の1075は既に「新開地」となっているのはご愛嬌・・・。
デ1300形に中間電動車のデ1320形を組み入れ、固定4連で運用中の1306−1323−1324−1305。
写真の1306・1305は既に廃車され、運転台部分のみ1375−1376としてにて現存します。
中間電動車の1323−1324も1057−1058の運転台を取り付け、1370形1373−1374として現存するのは
奇遇な縁ですね。「道場南口」の行先表示も現在では新鮮に見えます。
撤収直前、偶然現れた珍客のデキ+ホッパー。ホッパー車のクホ・サホは製造後4年程経った頃です。
沿線の輸送力増強工事・軌道強化に大忙しで、現在も変わらぬ姿を時折見せてくれるのは嬉しい限りです。
ED2001の側面には「神戸電気鉄道」の楕円形プレートが設置されていましたが、現在は旅客車と同様の
社紋に変わっています。
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