1966年(昭和41年)の記録
−旧型車から新性能車へ〜世代交代の頃-
(写真はいずれも松井正史氏撮影)
デ300形登場まだ間もない頃。前面の方向幕は
まだ未設置で、丸型の行先板が意外に似合います。
松井氏の特別寄稿−しんゆう 昭和28年小学生の頃から−
この度、当ページにて貴重な作品の数々をご提供頂いた松井正史氏より、当時の思い出を「徒然なるままに」書き留めて頂きました。
題して、「−しんゆう 昭和28年小学生の頃から−」。
文章を読んでいるだけでも、当時の光景がまるで目に見えてくるかの様です。
ご提供頂いた作品を一緒にご覧頂きながらであれば、昔を知る方々には懐かしい記憶が甦るかもしれませんね。
当時をご存知ない方にも昔日の空気を是非感じ取って頂きたく、貴重な神鉄の歴史の一ページとして、ここに
ご披露させて頂きたいと思います。
しんゆう 昭和28年小学生の頃から
湊川駅をでてしばらくすると左手に小高い丘が迫ってきます。
南北朝時代の西暦1335年楠木正成と足利尊氏が戦った湊川の合戦の舞台会下山です。
ここは今は整備されサクラの名所になっていますが、戦後間もない頃ははげ山で子ども達には電車が見れる
格好の遊び場でした。
下り電車が長田方面に急坂をあえぎながら登って来ます。その唸り音で近づいてきた事がすぐにわかりました。
速度は出ていないので音が聞こえてから遊びを中断して眺めに走ってもじっくりと見送ることが出来ました。
がらがらに空いた茶色の1両か2両編成の電車で運転手は正面窓の中央に立っているも見えました。
毎日眺めてると市電より小さな車両 流線型の車両 角張った車両など数種類あることがわかり番号と形も
結びついてきました。
昭和30年代初頭になると市電、山陽、阪神、阪急、国鉄に次々と鮮やかな色の新型が登場して見たり乗ったり
するのは楽しみでしたがしんゆうは相変わらずお世辞にも綺麗とは言えない電車のままでした。
このころ市内に分散しているターミナル駅を結ぶ計画が持ち上がり、しんゆうだけは湊川から国鉄神戸駅まで
高架で延伸するとの話がありました。
しんゆうはレール巾が狭く他の私鉄には乗り入れ出来ないからと親から聞きました。
やっと昭和35年になって湘南スタイルのデ300が登場した時には中学生になっていました。
大手私鉄には湘南スタイルが流行した後なのでさほど驚きはしませんでしたが、カラーは新鮮で大変感動しました。
控え目だけれどセンスのいいツートンカラーの組合せはデ300によくマッチしていました。
(あの色は今見ても新鮮で是非復活して欲しいと思います。)
この時期旧型車にもカラー化が及んでいます。デ300から始まる薄いピンクとライトグレー塗りと 131+201型、
132+201型、141+201型、151+201型だけに塗られた薄い黄緑とグレー塗りの2種類が存在しました。
従って201型には2種類の塗装色が存在しました。どのように区別をしていたのでしょうね。
その後はみなさん御存知の通り310、800、850、810、860、1000とどんどん近代化が進む中で暫く旧型車と
並存した期間を無我夢中でカメラに収めました。新車登場を知っての撮影ではなく定点観測的に撮っておりました。
(今と違い新車の情報なぞ素人には入手できなかったですので。)
撮影済みフィルムを湊川終点近くのDPE店にもって行くといつも呆れられていました。
なにしろすべてしんゆうの車両ばかりしか写っていないのですから。 いまとなっては遠い昔の思い出となりました。
完 2006.1記
撮影済のフィルムが全部電車だったというところなんか、すごく共感するところがありますね。私もそうでしたから…!
興味深い寄稿を頂き、ありがとうございました。
写真はいずれも丸山〜長田間で撮影されたもの。旧神中鉄道の気動車改造、半流線型タイプの
クハ151形も勿論健在です!。
204は202に比べて前面窓が大きく(車両ガイドの項ご参照)従来のデ200形と違った印象を受けます。
デ200形の有馬寄は、貫通路設置・前パン姿で、坂道を登って行く姿は一際重圧感を感じさせます。
デ211形2連が湊川へ向かって急坂を下って行きます。窓周りオレンジ+グレーのツートンカラー後の姿ですね。
当掲示板でも話題になった「みどり電車」クハ132とデ200形の2連。薄い黄緑とグレーの二色に塗り分けられて
活躍していたそうです。当時はまだ貴重品のカラーフィルムで撮影された写真です。
801(前面未改造時)とデ1000形1005が顔を合わせました。
デ1000形は後の列車無線設置時に1009以外は奇数車に施工されなかった為、有馬寄先頭車が
顔を出す事は無くこれまた貴重な写真です。
1005の製造年月が昭和41年7月ですので、この写真は約40年前の写真である事が分かります。
デ300形の粟生行が急坂を登って行く。床下機器配置も4連化後とは少し違っており、
主抵抗器もデ1000形や800系と同様のグリッド型抵抗器を使用していました。
片開き扉2枚のクロスシート車は当時の人気者でした。
デ860形862が鈴蘭台へ向かう。
前述の1005Fとほぼ同じ、昭和41年に
更新されたものです。
幌を着けたままの走行も珍しいですね・・・
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