−「さよなら800系」・・・1993年3月21日 最後の晴れ姿の時(後編)−
さて、いよいよさよなら運転区間も後半です。
道場南口の801F展示会から鈴蘭台へ戻り、当時はまだ構内で営業していたしんてつそば(喫茶室ご参照)で
手早く腹ごしらえ。ホームへ戻ると、有馬線系統の運転を終えて側線で小休止中の807Fが、午後の仕業へ
出発しようとしていたところでした。
午後の撮影は、鵯越駅上りホームから、新開地へ向かって50パーミルの急勾配を下る852Fを狙います。
一足早く先回りして鵯越へ。こちらでも鉄い人の姿がちらほらと・・・。
到着を待っている間に、ピカピカの2000系が下り列車として発車。今回引退する800系2編成の代替で活躍を
開始したばかりの、2010F4連の姿でした。
しばらくすると、ツリカケモータの電制音を響かせながら、いつもと同じ姿で852Fが坂道を下って来ました。
乗車していると、いつもこの辺りで自動連結器のスキ間が干渉して「ドーン!」と大きな音を連結面からさせて
いたのも懐かしい思い出です。
臨時普通列車としての運転ですから、見た目は一瞬、いつもの乗り降りする電車と変わらない姿に見えます。
違うのは、いつもより多い電車小僧の姿と、去り行く車両に掲げられた惜別の証・・・。
鵯越での撮影を終え、ここから粟生線へ向かいます。
往路では木津駅東側のカーブを下っていく姿を抑えるべく、木津駅へ。途中、鈴蘭台で偶然出会った、やはり
長年の神鉄ファンである大先輩Y氏に遭遇。
開口一番・・・「いゃあ、あなたの事だから沿線のどこかで絶対お会いすると思ってましたよ」到着までしばし、
電車談義に花が咲きます。
現地では思ったほど同業者の数は少なく、ゆっくりと撮影する事が出来ました。
いよいよ、走行写真最後の撮影地である藍那〜西鈴蘭台間へ向かいます。
足回りも綺麗に編成写真の撮れる数少ない場所とあって、今回のさよなら運転では一番「鉄い人」の数が多い
撮影地ではなかったでしょうか。沿線にこれだけ三脚の並んだ姿は初めての経験でした。
藍那駅東方で電車を待っている間、話をしていたのは阪急電鉄の現役運転士さんでした。
沿線をずっと車で追いかけていたとの事・・・。和やかに時は流れます。
ただ、ごく一部の方の中には、同好の士としては許すことの出来ない、残念な振る舞いの方がいらっしゃったのも
事実です。
同じ目的で集まって来られ、長年ご苦労様・・・という気持ちで被写体にレンズを向けるのは、皆同じ気持ちのはず。
袖擦りあうも多少の縁・・・と言うではありませんか。
少し深呼吸して、穏やかな気持ちで皆と接してみませんか・・・。
852Fが姿を現す少し前に、下りの1360Fが藍那駅へ到着。
偶然、走行中の両編成の離合シーンが展開。
まるで去り行く800系が現役の1360Fにエールを送るような姿。正に「邂逅」という2文字が当て嵌まる瞬間。
最後の撮影に相応しい感動的なシーンを、852Fは残してくれました・・・。
上の写真は「私の街のしんてつ」から・・・同年夏の谷上夏まつり「さよなら800形写真展」に展示されました。
そして、これが私の撮影した現役最後の800系の走行写真でした。
沿線での撮影が全て終了し、さよなら運転のゴールを見届けるべく鈴蘭台へ。
8565Kの到着後、鈴蘭台駅では花束贈呈式があるとの事で4番ホームの先頭は人だかりの山!でした。
やがて、いつもの到着案内と共に流れてきたメロディーは、「蛍の光」・・・。
鈴蘭台に到着したさよなら運転の最終列車、8565K。最後はホーム上は殆ど、昔日のブルトレブーム(死語?)を
彷彿させるような賑いでした。
定刻15:57、鈴蘭台駅4番線に852Fはその歩みを止めました。
到着後、直ちに運転士さんへ花束贈呈のセレモニーが行われ、ムードは最高潮に達します。
花束を渡された彼女は今回のさよなら運転で最終電車のハンドルを握っておられた運転士さんの娘さんでした。
少し照れくさそうなご両名でしたが・・・大役、ご苦労様でした。
お名残惜しいところですが、後続車の間を縫っての運転。いつまでも4番線を塞いでいる訳にはいきません。
セレモニー終了後、ヘッドマークも取外した852Fはすぐ見津車庫へと回送されました。
発車の時には、長年の活躍に皆からの惜しみない拍手が・・・。
「お疲れ様800系、長い間本当にご苦労様でした・・・」去り行く姿を見ながら、心の中で思いました。
やがて852Fの姿が見えなくなり、、ホーム上の人だかりはあっという間に消え、いつもの鈴蘭台駅の姿に戻っていました。