粟生駅を出発した新開地行の5000系4連。
手前はJR加古川線で、国鉄時代は粟生駅での車扱貨物も有った他、新車の搬入もここで行われていました。
−変わり行く粟生線沿線…小野市粟生駅前の再開発計画始動−
風の噂で流れていた粟生線粟生駅周辺の再開発計画が、いよいよ開始される運びとなったようです。
本日(7/29付)、日本経済新聞朝刊の地域欄に記事が掲載されています。
【ご参考】日経地域経済ニュース→http://www.nikkei.co.jp/news/retto/
約5年前に粟生まで4連車の直通運転開始、その2年後からは小野まで15分ヘッドの運転が開始された粟生線。
長閑な光景が見られ、地道なファンの多かった沿線にもここ数年、変貌の波が押し寄せてきた様に思います。
それでも終点の粟生駅近辺は、JR加古川線の電化と駅西側の老人健康施設ぐらいで大きな変化はなかった
訳ですが…時代の流れは、この静かな街並みの姿をも大きく変えようとしています。
駅前から道を歩き出すと、聞こえ出すのは小鳥達のさえずりと加古川のせせらぎ。
のんびりビール片手に電車を待っていると、時の経つのもあっという間…。
そんな光景も、やがては過去の姿として変わってしまうのでしょうか。
今回は、最近訪れた駅前の様子と少し前の風景を織り交ぜてご紹介したいと思います。
粟生駅駅舎。建物はJRが管理、神鉄と北条鉄道はその一角を間借りしています。
時間帯限定ですが駅員も配置されています。
唯一店を構えていた駅前の雑貨屋さん。閉店してから、どれほどの月日が経ったでしょうか…。
駅前から続く道を歩く。時折車が走る程度で歩く人の姿も殆ど無く…。
以前は駅東側に立派な農業倉庫が
立っていました。最近まで「味のある」
姿を残していましたが、現在は解体
されて駐車場となっています。
現在の農業倉庫跡地。写真右側は月極駐車場となっており、その奥に神鉄線のホーム屋根が見えます。
JR加古川線が電化されたのは2004年12月。上は同年8月に運転された建築限界測定車(いわゆるオイラン車)の
回送風景、下は電化一週間前に運転された「さよなら気動車」号のキハ4連です。
北条鉄道の単行気動車、フラワ2000形が行く。同鉄道にはこの他に開業当初から稼動しているレールバスの
フラワ1985形が在籍しています。形式の「フラワ」は沿線近くにある兵庫県立フラワーセンターからとったもの。
どこまでも続く細い線路の上を、思ったよりも軽快な足取りで駆けて行きました。
MM’車に先頭車化貫通改造を施して加古川線に投入された103系3500番台。
JR東日本では既に一線から退きつつ有る103系も、こちら西日本ではまだまだ現役。
気動車時代の加古川線カラーを引継ぎ、今日も北播を走ります。手前の線路は北条鉄道で、写真右側で
粟生駅に合流します。
JR、神鉄、北条の各列車が粟生駅に一同に会するのは一時間に一回。
一時の喧騒の後、やがて列車たちがそれぞれの方向へ向けて出発して行くと、再び駅周辺には静寂が
戻ります。辺りに響くのは耕運機の音とヒバリのさえずり、そしてどこまでも遠く青い空。
そう言えば、トンビって最近近所でも見なくなったなぁ…
見事なヒマワリ畑の傍らを1153Fの3連が行く。1998年7月の撮影で、まだ4連直通開始前の作品です。
この後に1153Fは連解装置解除・4連化対応工事を施され、現在は1076と4連を組成しています。
季節はそろそろ「夏」真っ盛り…。 少し足を伸ばして、のんびりと一日を過ごしてみようかな。
葉多〜粟生間(加古川橋梁)にて。
(撮影日) 97.1.25 98.7.26 04.08.21 04.12.22 06.05.14
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