−駅長室−管理人はこんな人です。




管理人遠景・・・2000.04 湊川〜長田



ハンドルネーム ・・・ 淡路島の電車小僧
出身地 ・・・ 1965年 福岡県出身
現住所 ・・・ 兵庫県
職業  ・・・ 会社員





幼少の頃、プラレールと今はなき西鉄北九州線の路面電車を見て現在の下地ができる。
1971(昭和46)年、父の仕事の都合で神戸へ転居。小学校の窓からはツートンカラーの神鉄の電車が良く見え、
遠足等の時には大抵利用する事が多く、楽しみで仕方無かったものです。




そんなある日、遠足の帰り道に駅を出て長い坂を上ってゆく途中、ふと見えたのは、菊水山へ
向かって上ってゆくデ300形2連の姿・・・一般的な神鉄フェイスの車両の中で、湘南形2枚窓の
愛らしい顔立ちが妙に印象に残りました。
私の趣味の礎となった車両でもあり、現在・過去の神鉄の車両の中でも最も好きな形式の一つです。
1994(平成6)年の引退まで、その姿を追い続けました。
                                                  



神鉄の初ショットは1125Fでした  1977.11.07  丸山〜鵯越




初めて神鉄の写真を撮ったのは小学校6年の時。
丸山〜鵯越間のカーブで撮った1100形3連+デ1070形の連解4連です。中学2年の冬、念願の一眼レフを購入。
高校は憧れの電車通学(といっても、最寄駅まで片道2Km有りましたが・・・)
通学カバンにはカメラを忍ばせ、勉強などする筈もなく、ひたすら電車を追いかけていました。
(後で友人に聞いた話では、女子高生をターゲットに撮っている怪しい高校生と思われていたそうな)




高校卒業後、現勤務先に就職。その後1994(平成6)年に転勤の為、淡路島の洲本市に5年間居住。
淡路交通の廃線跡が、自転車通勤の通り道となる。
同時期にパソコン購入。インターネット初体験し、遠距離での情報収集の容易さに感動!
ハンドルネームの「淡路島の電車小僧」はここに由来します。
1999年1月に本土復帰。神鉄詣は島流し時期も含め、月一度程のペースで現在も続いています。




2013年3月、神戸電鉄粟生線の全通60周年企画として、「ミュージアムトレイン」 の企画立案及びポスター作成に協力。
2014年7月と2017年9月には、小野市のコミュニティセンターで実施された市民向けセミナー(※)において、
「神鉄ファンが語る、粟生線の現状と沿線の魅力」と称し、ボランティア講師を担当させていただきました。
※河合地区現代セミナー  於・コミセンかわい  2014年7月13日
おの歴史探訪講座  於・コミセンおの  2017年9月16日




2014年4月、神戸電鉄粟生線活性化協議会「粟生線ブログ駅長」として、初代駅長拝命。
同年5月より一年間、゛わたしの街の 「しんてつ」 −365種類の沿線模様−゛と題し、四季折々の沿線風景を
日替わりで毎日ご紹介。
2015年5月より、Facebookページ−ようこそ「神鉄」へ!を開設。
弊ページの別館的位置づけとして、神鉄沿線の風景を一年365日、毎日更新中です。(2019年1月現在)



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